犬の不思議を科学する⑯犬の健全性とスタンダードのジレンマ(4) – インブリーディングが遺伝的多様性に与える悪影響

by 尾形聡子 2020.03.12

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これまで3回にわたり、家畜化と品種化という2回の大きな進化イベントを通じて犬が遺伝的多様性を失い、その結果として数多くの遺伝病を抱えるようになったことについてお話ししてきました。犬は遺伝的多様性を大きく喪失している生き物であるという前提ならば、純血種・雑種と分けずに考えるべき問題かもしれません。しかし、遺伝的多様性を高めていく方向で、犬種として管理されている犬が抱える遺伝病を少しずつ減らしていくことができれば、犬全体の健全性は上がっていくとも考えられます。では、どのようにして遺伝的多様性を高めていったらいいのでしょうか。


2008年に BBC(英国放送協会)のドキュメンタリー番組『犬たちの悲鳴~ブリーディングが引き起こす遺伝病~(原題:Pedigree Dogs Exposed)』が放映されてから、イギリスのケネルクラブ(KC)では犬の健全性を高めるための努力を続けています。そのひとつとして、KCが公認している215犬種についての遺伝的多様性の状況を明らかにするために、1980年から2014年にかけて登録された犬の血統書の解析をし、頭数の変遷とインブリーディング(※1)の割合を調べた結果が公表されています。


イギリスと日本とでは人気犬種や繁殖状況、健康状態など異なるかもしれません。しかし、日本でも犬の健全性を高めていくために少なからず参考にできることが掲げられていると思いますので、調査結果を見ながら考察していきたいと思います。


まず、KCでの調査の結果、大きく4つのことが明らかにされました。

1.すべての犬種において、インブリーディングの割合は1980年代から1990年代にかけて高まり、2000年を過ぎてからは減少傾向にある

2.この傾向は人気犬種にもレア犬種にも見られたが、レア犬種のほうがより顕著であった

3.インブリーディングの割合は集団の大きさ(犬種ごとの頭数)とは関連性がなかった

4.すべての犬種において、人気あるオス犬(種オス)の存在があった


35年間の変遷をみると、21世紀に入ってからブリーダーが遺伝的多様性を考慮した繁殖を行う傾向が強まっていることがわかり、今後多くの犬種で遺伝子プールが広がっていく可能性があることを示すデータだとしています。また、インブリーディングの割合が低下しはじめたのと検疫法が緩和された時期が重なっていたことから、犬を国外へ連れていったり国内に連れてきたりの行き来がしやすくなったこともまた、インブリーディングの割合の低下に一役買っているのではないかと研究者らはいっています。


※1 インブリーディング 近親交配のこと。

インブリーディングが有害な理由

遺伝子の類似性が高い、すなわち血が濃い状態の個体同士は、見た目や体質などの類似性も高くなります。インブリーディングを行うと遺伝子の類似性が高まるため、両親と似た形質を持つ子犬、そして同腹の子犬同士も似ている形質を持って生まれる可能性が高くなることが想定されます。これは、いい形質を継承させていくための単純な方法ともいえますし、これまで実際に犬種を作り出すときや絶滅しかけていた犬種を復活させるときには、少数の始祖をもとに繁殖を重ねていくインブリーディングをしていく必要もありました。


しかし、インブリーディングを必要以上に続けると個体に有害な影響が出てきやすくなります。このことは、犬に限らずあらゆる生物にもあてはまることです。インブリーディングが重ねられて遺伝子の類似性が高まることは、劣性遺伝する対立遺伝子を両親それぞれから受け継ぐ可能性が高まることでもあるため、劣性遺伝子の形質が現れやすくなります。有害な影響の最たるものが、劣性遺伝する病気といっていいでしょう。もちろん劣性形質の遺伝子がすべて有害なものではなく、プラスに働く場合もありますし、優性遺伝する病気も存在しています。これまでに何度かお話してきましたが、遺伝学での優性・劣性という言葉は形質の優劣をあらわすものではないことを心にとめておいてください。


インブリーディングを続けて遺伝的多様性が失われていくと、近交弱勢(近交退化)と呼ばれる現象が見られるようになります。現在わかっている遺伝病のほかにも未知の遺伝病が発症したり、繁殖能力の低下、妊娠頭数の減少、子犬の死亡率の上昇、寿命の短縮など、健康問題全般にわたり異常が見られやすくなります。個体そして種の存続によくない影響がでてくることになってしまうのです。


このように、インブリーディングが犬の健康に及ぼす問題は深刻です。近交弱勢による問題が露呈しないようにするためには、インブリーディングの割合を下げていき(近親交配の尺度である近交係数を低くしていく)、遺伝的多様性を高めていく必要があります。


さらには犬の場合、繁殖に人為選択のバイアスがかかってきます。もし自然選択で繁殖が行われていくならば、有害な劣性遺伝子はいずれ淘汰されるか、淘汰されずともホモ結合(劣性形質の遺伝子が二つ揃うこと)することは確率的にとても低い状態にあるのですが、人為選択での繁殖はいずれにも影響を及ぼします。しかし人為選択には逆に、自然選択よりも短期間で遺伝的な背景を改善できる可能性を生じさせるという利点もあります。遺伝子プールを決して狭めず、可能な限り広げていくような、犬の健全性を高める方向での人為選択をしていくことが大切になってきます。

特定のオス犬の繁殖への多用が及ぼす影響

KCの結果の中には、インブリーディングの割合と変遷は登録頭数の多さとはそれほど関連性が見られなかったということがありました。そこから注目したいのは"4.すべての犬種において、人気あるオス犬(種オス)の存在があった"という点になると思います。KCでも、犬の遺伝的多様性を高めていくために考慮すべき重要なポイントとして、繁殖上でのオス犬の取り扱い方の問題を挙げています。


まず、オスはメスに比べると繁殖の身体的制限がはるかに低いというのが、人気のある特定のオス犬が繁殖に多用されがちであったことの理由のひとつです。メスには発情期があり、妊娠期間を経て出産をするという期間が必要ですが、オスには時期や期間といった制限がありません。単純にいえば、オスのほうが自らの遺伝子を多くの子孫に残していきやすい性であるということになります。


あるオスの持つ特徴が、その犬種全体を見渡したときに欲しいとされる素晴らしいものであると、そのオス犬は"人気のあるオス犬"として繁殖に多用されがちになります。そうすると、犬種内でそのオス犬の遺伝子を引き継いだ犬たちの割合が増えていき、たとえ素晴らしい特徴が広まったとしても、その一方では犬種内での近親交配の尺度は高まり遺伝的多様性が失われていきます。いい特徴を広めることで犬種の向上をはかろうとしても、それでは逆に犬種の健全性を下げてしまうことになりかねません。このように、意図的にではなくとも結果として繁殖に多用されすぎたオス犬の存在が、インブリーディングの割合を高める大きな原因のひとつとなってきたわけですが、もちろんメスが遺伝病の始祖となって犬種内に病気を広めてしまうことも、オスのような影響力はないながらも皆無ではありません。


そもそもなぜ特定の犬の遺伝子が犬種内に広がることがよくないことなのかといえば、それは前述しましたように、劣性の形質の遺伝子がホモ接合し、劣性遺伝する病気が広まる可能性がとても高くなるからです。優性遺伝する病気は「発症する」か「しない」かのどちらかなので、人の目にも明らかになりやすく、繁殖ラインから外していくといった対応がとりやすいのですが、劣性遺伝する病気の場合はこの限りではありません。


たとえば人気のあるオス犬が、後天的に劣性遺伝病の原因となる突然変異を起こした最初の犬だったとしましょう。その犬が繁殖に多用されると、それまでその犬種にはほとんど存在していなかっただろう病気の遺伝子が水面下で広がっていきます。さらに、そのオス犬からいい形質を受け継ぎ、かつ病気のキャリアとして生まれてきたオスの子犬がまた同じように繁殖に多用されるようになれば、最初に繁殖に多用されたオス犬の遺伝子を濃く残すキャリア犬の頭数が犬種内でどんどん増加していくことは想像に難くありません。そして何年かたち、両親からその劣性の突然変異遺伝子を受け継いで病気を発症する個体が見られるようになってくると、ようやく病気の存在に気づくことになります。しかしその時にはすでに、犬種内にその突然変異遺伝子が広まってしまっている可能性があるのです。


特定のオス犬の繁殖への多用は、遺伝性疾患の蔓延と同時にほかのオス犬が持つ遺伝子を残すチャンスを減らしてしまうことにもなります。つまりそれは、遺伝子プールを狭めていくことにつながってしまいます。さらに、外国で繁殖されているような遠い血縁の遺伝子を入れずに繁殖が国内に限られてしまえば、創始者効果が加わり犬種内での遺伝的均一性はますます高くなり、遺伝子プールはより狭められていってしまう可能性がよりいっそう高まります。望ましい特徴や気質を残しつつ、健康状態を維持・改善していくには、国内・海外での犬種全体のバランスをできる限り見て、どのような方向に繁殖が進められているかを把握していくことも、健全な繁殖を行っていくために必要とされることと思います。


【参考文献】

・Trends in genetic diversity for all Kennel Club registered pedigree dog breeds

【参考サイト】

・The Kennel Club

※本記事はブログメディア「dog actually」に2016年3月8日に初出したものを、一部修正して公開しています。


【この連載について】

いつも私たちの身近にいてくれる犬たち。でも、身体のしくみや習性、心のことなどなど、意外と知らないことは多くあるものです。この連載から、“科学の目”を通して犬世界を一段深く見るための、さまざまな視点に気づくことができるでしょう。


【尾形聡子 プロフィール】

ドッグライター。生まれ育った東京の下町でスパニッシュ・ウォーター・ドッグのタロウとハナと暮らしている。ブログ『犬曰く』雑誌『テラカニーナ』にて執筆中。著書に『よくわかる犬の遺伝学』。

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